官営富岡製糸場は本当に赤字経営だったのでしょうか?

官営富岡製糸場の収支

官営富岡製糸場は1872年(明治5)に始まり、1893年(明治26)の21年間、明治政府のもとで経営されました。その後は、三井家が、払下げの入札で落札し経営します。 さらに、原合名会社に譲渡され、1938年(昭和13)には、株式会社片倉製糸所として独立しますが、昭和14年(1939年)には日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式(現・ 片倉工業株式会社)に合併されました。 その後、戦中・戦後と長く製糸工場として 稼働しましたが、生糸価格の低迷などによって1987年(昭和62)3月ついにその操業を停止しました。その後も場内の建物は 片倉工業の管理下で大切に保存されてきました。 現在、建物は片倉工業が無償で富岡市に寄付され富岡市が管理しています。富岡製糸場 燥糸所

官営富岡製糸場時代の収支 (単位円 小数点以下銭)

1872~1875年 明治5~8年 初代工場長 尾高 惇忠
収入 487,111円797銭  支出 707,345円541銭  損益 ▲220,233円744銭
1876年 明治9年 お雇い外国人すべて撤退
収入 290,866円360銭  支出 188,208円940銭  損益 102,657円420銭
1877年 明治10年
収入 212,120円230銭   支出 223,811円813線  損益 ▲11,691円583銭
1878年 明治11年 2代工場長 山田 令行
収入 200,790円440銭  支出 203,124円710銭  損益 ▲2,334円270銭
1879年 明治12年 2代工場長 山田 令行 更迭 3代工場長 速水 堅曹
収入 278,547円119銭  支出 262,053円538銭  損益 16,493円661銭
1880年 明治13年 4代工場長 岡野 朝治
収入 285,185円556銭  支出285,828円884銭  損益 643円328銭
1881年 明治14年
収入 212,478円391銭  支出 211,257円557銭  損益 1,220円834銭
1882年 明治15年
収入 184,627円626銭  支出 232,374円528銭  損益 ▲ 47,746円902銭
1883年 明治16年
収入 158,738円903銭  支出 200,494円977銭  損益 ▲ 41,756円072銭
1884年 明治17年
収入 345,788円516銭  支出 361,203円026銭  損益 ▲ 15,414円510銭
1885年 明治18年 5代工場長 速水 堅曹 再び登場
収入 171,992円239銭  支出 152,763円156銭  損益 19,229円083銭
1886年 明治19年
収入 183,234円296銭  支出 168,765円604銭  損益 14,468円692銭
1887年 明治20年
収入 214,167円054銭   支出 202,675円240銭  損益 11,491円814銭
1888年 明治21年
収入 229,871円903銭  支出 228,353円445銭  損益 1,518円458銭
1889年 明治22年
収入 199,061円479銭  支出 不詳 損益 不詳
1890年 明治23年
収入 399,455円186銭  支出 387,367円444銭  損益 12,087円742銭
1891年 明治24年
収入 154,665円359銭  支出 151,043円790銭  損益 3,621円569銭
1892年 明治25年
収入 213,499円470銭  支出 159,773円580銭  損益 53,725円890銭
1893年 明治26年
収入 223,658円090銭  支出 142,540円290銭  損益 81,117.800
明治5年~明治26年までの収支決算はここをクリック

官営富岡製糸場 代々の工場長

尾高惇忠 富岡製糸場初代場長

初代工場長 尾高 惇忠 1872~1875年(明5.10~明9.11) 1875年(明治9)には高給取りのブリュナー(年俸9,000円)を始め、外国人(9名)が全て富岡製糸場から退去します。
2代 山田 令行 1875~1879年(明9.11~明12.3 )1878年(明11)パリ万博で富岡製糸場の生糸の評判を落とすとともに赤字が続きます。第2代場長更迭
3代 速水 堅曹 1879~1880年(明12.3~明13.11 )1880年(明12)富岡製糸場を民間への払い下げ計画中止。1879年(明12)~1881年(明14)には赤字が解消されます。
4代 岡野 朝治 1880年~1885年(明13.12~明18.2 )1882年(明15)単年度度決算最高赤字。次年度は僅かに改善するが、前年度に次ぐ同じ赤字決算。
5代 速水 堅曹 1885~1890年明18.2~明26.10 )経営手腕を買われ、再び場長に就任。1890年(明26)に明治政府の方針で、富岡製糸場は民間に払い下げられます。 三井家が121,460円(在庫繭を含む)で落札しますが、在庫繭が80,000円相当有ったと言われています。 おそらく生糸の在庫も有ったのでしょうね?(121,460ー80,000=41,460)かなり安い買い物ですね。 富岡製糸場は、当時のお金で240,000円(240,000ドル 1ドル1円換算)の費用で建設されました。(土地の買い増し分は別費用)
参考資料:富岡製糸場開業以来営業損益一覧表:内務省第2~5年報の修正値:第1~13回農商務省報告:法政大学創立者 生誕150周年記念連続講演会 明治日本の産業と社会第1回講演録PDF 2006年2月25日(土) 講師・今井幹夫
撮影協力 富岡市・富岡製糸場

 

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