世界遺産、富岡製糸場のある街 富岡市の歴史と概要

富岡市の位置

富岡市役所の所在地は〒370-2316 群馬県富岡市富岡1460-1 北緯36度15分35.7秒東経138度53分23.7秒となっております。
人口は50,000人弱の小都市です。富岡市や富岡製糸場にお越しの際に役立つと思います。

世界遺産のある町 富岡市

富岡市 妙義山

世界文化遺産登録となった富岡製糸場のある街、富岡市は、群馬県の南西部に位置しています。 安中市・下仁田町・甘楽町・高崎市に 隣接しており、東京から約100km、県都前橋市からは約30kmの距離にあります。 上信越自動車道及び関越自動車道によって東京と約1時間で結ばれており、このアクセスの便利さが大きな特徴となっています。 自然的構造をみると、東は関東平野に続く平坦地で、西には上毛三山(群馬県を代表する赤城、榛名、妙義を総称して表す言葉)のひとつである標高1,104mの妙義山(富岡製糸場の木骨の杉を切り出しました)の南には標高1,370mの稲含山。
稲含山 北は小高い丘陵地帯で、中央を鏑川とその支流である高田川(富岡製糸場の当初の水源)が流れ、緑濃い山々と清流が大きな特徴であり、人々は河川沿いに集落を形成し、暮らしを営んできました。
富岡市 鏑川 富岡製糸場南下の鏑川より左から平らな荒船山、真ん中の大桁山が見えます。 気候は、内陸地形でありながら、年平均気温は14℃前後、年間降水量は1,000mm前後であり、降雪もほとんどなく年200日以上は晴天の日です。 年間を通じて温暖な気候に恵まれています。 この恵まれた自然と温暖な気候は、地域の大きな魅力となっています。 明治政府はこの場所目をつけ富岡製糸場を建設します。

富岡市役所 新庁舎

富岡の中心街の歴史

富岡は慶長17(1612 今から約400年前)年に徳川幕府の命により突如として町づくりが始まりました。同年4月1日に検地(土地の測量)が始まり、その結果、最も地味の悪い地が新田開発に選ばれ、開発が行われ、元和3(1617)5月2日にまちの骨格が完成し、この日を以って富岡町という町名が付けられました。 富岡は計画的に町づくりが行わたた町といえると思います。新田として出来た町は、砥沢村(現・南牧村)から大量に質の良い砥石が産出され幕府から手厚く保護(御蔵砥)され、江戸への輸送の中継地として、鏑川流域の中核的小都市として発展します。 又、新田開発の際に代官が陣屋地として策定していた広大な土地が、後の、明治政府の殖産興業政策の一環として富岡製糸場の設立地となりました。

近代の富岡市の歴史

明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、北甘楽郡に富岡町・一ノ宮町・福島町・小野村・黒岩村・高瀬村・額部村・吉田村・丹生村・妙義町・高田村が誕生。
昭和25年(1950年)4月1日 - 北甘楽郡が甘楽郡に改称。
昭和29年(1954年)4月1日 - 甘楽郡2町4村(富岡町、一ノ宮町、小野村、黒岩村、高瀬村、額部村)が合併、市制を施行し、富岡市となる。
昭和30年(1955年)3月20日 - 妙義町と高田村が新設合併し、新妙義町となる。
同年4月1日 - 吉田村を編入。
昭和34年(1959年)2月1日 - 福島町の一部(田篠、星田、君川)を編入。
昭和35年(1960年)4月1日 - 丹生村を編入。
2006年(平成18年)3月27日 - 妙義町と新設合併し、新・富岡市となる。

姉妹都市・友好都市 国内
長野県岡谷市 姉妹都市
埼玉県深谷市 友好都市
神奈川県横須賀市 友好都市
国外 オーストラリアのアルバニー市(オーストラリア)友好都市
フランスのブール・ド・ペアージュ市(フランス ドローム県)友好都市

参考文献:富岡市HP 富岡市発行 富岡のまち~まちのおこり400年~ ウィキペディア

富岡製糸場に関わった人々

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水分検査機

 

フランスから輸入した水瓶検査機器

ポール・ブリュナが明治4年にフランスから輸入した生糸の水分検査器

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