東置繭所は世界遺産で国宝です。富岡製糸場の代表的な建物です。

富岡製糸場の主な建物

富岡製糸場の主な建物は、下の図で判るように、東繭倉庫(東置繭所)西繭倉庫(西置繭所)繰糸場の三棟がコの字型に配されています。この三棟は2014年の12月に国宝に指定されました。繰糸場は採光を考慮して南向きに建てられています。 ↓クリックすると画像が拡大されます↓ 富岡製糸場の建物配置図

富岡製糸場 東置繭所(ひがしおきまゆしょ)国宝

富岡製糸場 東置繭所

富岡製糸場の代表的な建物で2014年には国宝に指定された東置繭所は、木の骨組みに煉瓦を積み重ねる「木骨煉瓦造」で造られています。 煉瓦という西洋の素材と屋根は日本の伝統的な瓦で葺くなど、東洋と西洋の技術がこの繭倉庫には有ります。 繭倉庫の主な資材は 石、木、煉瓦、瓦で構成されていて、鉄枠の窓や観音開きのドアの蝶番(チョウツガイ)いなどはフランスから運び込まれたものでした。 しかし、資材の調達は大規模な建築のため多くの困難が伴いました。 中心となる材木は主に官林(旧幕府又は藩所有の山林)から切り出しました。 杉の木の大きいものは 妙義山、松の木は吾妻から調達し、小さい材木は近くの山林から集めました。 また礎石の石材は連石山(現・甘楽町小幡)から切り出され「ねこ」で富岡まで運びました。 煉瓦は、フランス人技術者が瓦職人に作り方を教え、福島町(現・甘楽町福島)の 笹森稲荷神社の東側に窯を築き、瓦と共に焼き上げました。 その中心となったのは埼玉県深谷からやってきた瓦職人と言われています。煉瓦の目地には、セメント(当時セメントは日本に無い)の代用として 漆喰(シックイ)を使いました。 漆喰の原料となる石灰は下仁田町青倉や栗山産のものでした。 漆喰の強度を増すため試行錯誤の末、丈夫で剥がれにくい物ができたようです。 この様子は韮塚直次郎の曽孫の韮塚三郎が「韮塚家中興の租 韮塚直二郎.美寧を偲ぶ」の中で詳しく書いています。 煉瓦は、フランス積みと呼ばれる工法で積まれていますが、これはフランス人が関係していたことを示すとともに、建物の美しさを強調しています。 明治5年 建設中の富岡製糸場 上の写真は、ほぼ完成している東置繭の南東で、大きな鋸で材木をひいているのが判ります。 大工さんの頭には「ちょんまげ」が有りますね。左側には棟梁らしき人物にも「ちょんまげ」が確認できます。 散髪脱刀令は明治4年8月9日(1871年9月23日)太政官によって出されたましたので、それ以前か、若しくはその近辺の写真でしょう。 富岡製糸場は1871年(明治4年)4月に建設の着工で、1872年(明治5年)7月に完成しています。

煉瓦の積み方

富岡製糸場の煉瓦の積み方富岡製糸場 フランス積み

上の図は富岡製糸場の煉瓦の積み方(フランス積み)です。この図でわかるように、富岡製糸場の煉瓦の壁はかなり厚く頑丈なことが判ります。 現在の煉瓦の日本工業規格は、長さ210mm 横100mm 厚さ60mmとなってます。 富岡製糸場では長さ227mm 横112mm 厚さ61mmで、少なくとも壁の厚さは22.7cmとなりますね。西置繭所や首長館(ブリュナ館)検査人館の煉瓦はその後に建てられ たものなので、煉瓦の厚さが少し薄い55mmで女工館は縦、横、厚さ、も少し小さいみたいです。

富岡製糸場 東置繭所のキーストン

富岡製糸場 東置繭所キーストン

東置繭所の中央部分の入り口上は、アーチ状に煉瓦が積まれていて、その中央部分にはキーストンと呼ばれる要石が有ります。 ここには、富岡製糸場が操業を開始した年の「明治五年」が刻まれています。

富岡製糸場 礎石

富岡製糸場の礎石は、富岡市の隣町の現甘楽町小幡の長厳寺の裏山の連石山から、御用石として4,000もの多くを切り出し「ねこ」によって富岡まで運ばれました。 この仕事は同町の新井永吉と茂原百一郎の両人が請け負い、後に尾高惇忠から2円50銭と感謝状が贈られています 上の写真は甘楽町小幡の連石で御用石の石切り場跡です。(自由に見学できます) 国宝 東置繭所 富岡製糸場には繭倉庫が2つ有ります。こちらは東にあるので、東置繭所と呼ばれています。 繭倉庫として使われたのは、2階部分で乾燥させた繭32トン(8,000袋)を保管できました。 現在は繭を作る蚕の飼育は、年4回、春蚕(はるこ)・夏蚕(なつこ)・初秋蚕(しょしゅうこ)・晩秋蚕(ばんしゅうこ)が行なわれ(多い地域では年6回)ます 。富岡周辺で組織する、甘楽富岡養蚕研究会の12軒の養蚕農家では、年間約5トンの繭を生産しています。現在ではいかに少ない生産量化が判ります。 富岡製糸場の創業当時は、春だけの1回しか蚕の飼育は行なわれなかったため、1年間で使用するための繭を春に買い入れ、保管が重要な役割を果たしていました。 富岡製糸場の建物はフランス人のエドモン・オーギュスト・バスチャン( お雇い外国人として横須賀製鉄所建設に携わる)がメートル法で設計し、実際の建築は日本人の大工が尺貫法に直して造られました。

富岡製糸場 東置繭所の大きさ

長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m  建築面積 1486.60㎡
構造形式  木骨煉瓦造、二階建、北面庇・西面及び南面ヴェランダ付、桟瓦葺(さんかわらぶき)

現在の東置繭所

正門入って正面の煉瓦造の大きな建物が東置繭所です。 正面のアーチを入ると、床面に大きな計量機が有ります。(気がつくかな?)片倉時代には繭を積んだトラックがここで計量されていました。そのまま進めば、広場に出ます。 左右に別れますので、右側は主にお土産品の販売所 と、通常の展示物と映像で富岡製糸場が紹介されています。左側はシルク製品の販売や、座繰りの実演、フランス式繰糸器の実演、その奥は、特別イベント会場となります。 2015年の夏から、空調設備も入りましたので夏冬快適に見学ができます。

現在は2階部分も外階段を登れば公開されています。(無料です。暗いので間が慣れるまでは気を付けてください。)
下の写真が東置繭所2階の内部です。天井は瓦を支えるための「トラス工法」となっています。中央には棟木まで達する杉の木の通し柱が建ち、変形の「トラス」となっています。 ここに16t(繭袋にして4,000袋)の乾繭が保存されていました。 参考文献・資料:文化庁 国指定文化財等データベース 英語版富岡製糸場パンフレット
甘楽町役場HP 韮塚三郎著「韮塚家中興の租 韮塚直二郎.美寧を偲ぶ」
写真提供:富岡市 富岡製糸場

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