世界遺産の富岡製糸場の女工館

富岡製糸場の主な建物

富岡製糸場の主な建物は、下の図で判るように、東繭倉庫(東置繭所)西繭倉庫(西置繭所)繰糸場の三棟がコの字型に配されています。この三棟は2014年の12月に国宝に指定されました。繰糸場は採光を考慮して南向きに建てられています。 ↓クリックすると画像が拡大されます↓ 富岡製糸場の建物配置図

富岡製糸場 女工館(じょこうかん)

女工館

女工館は1873年(明治6年)頃に建設されました。フランス人女性教師4人の宿舎として建てられました。 彼女たち4人の教師は、富岡製糸場で働く工女たちに、器械製糸の技術を教えるために来日しました。 その内の1人マリー・シャレーは明治6年11月に帰国しています。ヒエーホール・クロレント ルイズ・モユエル バラン・アレキサンドロスの3人は明治7年3月に契約を解約され帰国します。 建物の構造はコロニアル様式と呼ばれ、当時の日本建築にはない特徴が見受けられます。 「コロニアル」とは「植民地的な」という意味で、当時のヨーロッパ諸国の植民地であった東南アジアなどの暑い国で生まれた様式です。 そのため床が高く、窓には風通しのよい板戸が取り付けられ、ベランダの天井の板が格子状に組まれる等、当時の日本建築にはない特徴があります。 湿度の高い日本の気候に適していると言われています。 大正12年(1923)以降は間仕切壁を撤去して大部屋とし、1階を食堂、2階を会議室として使用した。

女工館の廊下のベランダの天井は菱組天井になっています。 煉瓦の壁は当時と変わらずに保存されています。 女工館は、製糸場の建設から1年ほど遅れて建てられましたので、壁の煉瓦は、繭倉庫(置繭所)の煉瓦より一回り小さいものです。 現在、女工館の内部は公開されていませんので、外から眺めるだけです。
木骨煉瓦造、建築面積381.50平方メートル、二階建、階段附属、桟瓦葺
参考文献:文化庁 国指定文化財等データベース  たかせとよじ著「近代史の中の上州富岡」
写真提供:富岡市 富岡製糸場

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