富岡製糸場の鉄水溜が公開され見学できます

富岡製糸場の主な建物

富岡製糸場の主な建物は、下の図で判るように、東繭倉庫(東置繭所)西繭倉庫(西置繭所)繰糸場の三棟がコの字型に配されています。この三棟は2014年の12月に国宝に指定されました。繰糸場は採光を考慮して南向きに建てられています。 ↓クリックすると画像が拡大されます↓ 富岡製糸場の建物配置図

富岡製糸場 鉄水溜

富岡製糸場 鉄水溜

製糸の工程で大量の水が必要で貯水施設は必要不可欠でした。 当初はレンガ積みで作られましたが、水漏れが激しくその後(1875年明治8年竣工)鉄製で造られました。 日本で現存する鉄製構造物では最古級と言われています。 輸入された鉄板を横須賀造船所の関連施設(横浜製造所)で基本的な造作が行われ、組み立ては富岡製糸場内で行われたと言われています。 組み立ては造船の技術のリベット接合が用いれれています。 土台の礎石は、南牧村から切り出した椚石(くぬぎいし)が使用されていると言われていますが、肉眼で見えている5段に積み上げられた石は椚石(くぬぎいし)ではありません。基部の下に埋もれているとも考えられますが、発掘調査が待たれます。当初は2段積でしたが、水圧を上げるため、現在は5段積となりました。 直径15.2m 深さは最深部で2.4m有り約400t(3.762㎥)もの水を溜めることができました。 2006年に国の重要文化財に指定されています。

鉄水溜の台座の石は2段から5段へ

鉄水溜は2019年4月1日から、西置繭所の素屋根(覆い屋)の解体工事に伴い見学は出来なくなっています。おーぉ、これが日本最古級の鉄製構造物かと驚きますね。今では溶接の技術が発達していますが、当時はリベットで重ね合わせたのですね。 それより驚くのは、当時は礎石が2段でしたが水圧を増すために、礎石を5段積していますので。その方法を想像してみてください。 今なら、簡単にクレーンで吊り上げて石を入れる方法を取ったでしょうが、当時はクレーなど無い時代ですよ。 解説員さんに聞いたところ、その記録が無いので判らないとのことでした。又。この鉄水溜にどの様な方法で水を入れて貯めたのかも、記録が無いので判らないそうですが、想像できるのは、繰糸が停止した夜等にブリュナエンジンを使い水を汲み上げたのではないかと解説員さんは説明してくれました。皆さんもこの2つの疑問を考えてみて下さい。

明治8年製造の鉄水溜は100年以上使用したのでしょうか?この写真から想像するには配管が有ったりモーター有ったりしますので、やはり 片倉が閉鎖するまで使用されていたことは間違いないと思われます が、解説員さん曰く、その記録も無いので、どの様に何時まで使用していたかはハッキリしないそうです。大正8年には、富岡にも電気が引けて、モーターを回すことができたので、直接鏑川から水をくみ上げ使用する事も出来たはずです。

鉄水溜の中はこんな感じ

覗き穴が有ったのでのぞいてみました。中もギッシリとリベットで止められていました。100年以上経過しても使えそうですね。
画像提供  撮影協力:富岡市 富岡製糸場

 

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